叱られた記憶のない子供と、意識のすぐそばにあるもうひとつの意識

日曜日に「逗子リトリート」の打ち合わせをしながら、ふとこんなことを思い出しました。私は幼少期に叱られた記憶が一切ないのです。

そのため、小学校に入ってから子供を叱る先生が本当に不思議に見えました。「子供相手に何を怒っているんだろう?」と思いました。

ウチの場合は基本的に「対話」だったのだと思います。たとえば、味噌汁をひっくり返したときに「なにやってんのバカ!」と怒鳴られるのではなく、「こういう持ち方ならひっくり返さない」というアドバイスをもらっていました。

いまでも子供が叱られているのを見るとココロが痛みます。「歩くのが遅い」とか「おもちゃを決められない」とか「奇声を上げて騒いでいる」とか・・・そういう子供を、口汚く罵る親が本当に苦手です。だって子供じゃん。

子供は大人とは違う精神世界に生きて、違う時間の感覚で過ごし、肉体をコントロールするのが上手ではありません。

道に咲いている花に目を奪われていつまでも眺めていたり、楽しくなって飛び跳ねたりするのは、彼らの世界がそれほどまでにキラキラしているからです。そこを、その世界を(過去に過ごしていたことを忘れてしまった)大人たちが口汚く罵るのは、あまりに失礼です。

クリスタルボウルを聞いていると、ぼんやりとした感覚に包まれます。それはふだんの意識の状態とはちょっと違う、別の意識「変性意識」です。私たちの意識なんて、ものすごく小さなバランスの上で成立しています。だからこそ、失恋すれば落ち込むし、酒を飲んだら暴れるし、躁病鬱病、いろんな状態に変わります。

いろんな意識の中に生きている存在がある。そんなことを知って、他者を許し合い、子供と対話をする世界。クリスタルボウル体験の先に、そんな世界があればいいなと思います。

ゲームだってそうですよね。クリアできないゲームがあったとして、ブっ壊したらみっともないですよね。クリアする方法を考えてみたり、教えてもらったり。

ホント、子供が泣いているのを見るのが苦手です。もらい泣きしそうになる。どうか平穏な日々を。彼らに誇れる未来を。

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