憧れられる人ではなく、必要とされる人に

2018-01-27-14.14.41-2

土曜日は福岡でクリスタルボウル サウンド・バスイベントを行いました。初めての土地でしたが、たくさんの人に出会うことができ、感謝しております。ありがとうございました。

やっぱり、生演奏は違いますよね。鳴らし方なども気に入ったものがあれば参考にしてみてください。「習ってみたい!」という要望がありましたら、クリスタルボウル サウンド・バス スクールの短期集中全国出張をご検討くださいませ。

クリスタルボウル サウンド・バス スクールの案内ページでは、冒頭にこんな言葉を書いています。

「クリスタルボウルを学んでみませんか? 知識と技術を身につけて、誰かに心から必要とされる存在に、メンタルケアが重要な社会に役立つ存在を目指しましょう」

・・・なかなか強気ですが・・・「誰かに必要とされる存在」というのは、本当に大切なことだと思います。

今日のブログでは「憧れられる人」と「必要とされる人」について書いてみます。

「憧れられる人」と「必要とされる人」は圧倒的に違います。

奏者として活動を続けていくとき、どちらを目指すかはすごく重要です。

女性向けの起業本の多くは、なぜか「憧れられる人」を作ろうとしているように見えます。カワイイままで年収1000万!とか、NYとTOKYOの2拠点で生活!とか、「ライフスタイル」をウリにしていて、事業内容がさっぱり分かりません。

私はクリスタルボウルを演奏する際、ドレスは着ません。高級そうなホテルで演奏したり、神社で奉納したり、大勢の奏者で交流したり、そういうのにもさっぱり興味がありません。イベントで自分を語ることもありません(聞かれたら答えますが)。

それらはすべて「憧れられる人」を作ろうとしているように感じてしまいます。

もちろん、「誰かに憧れられるのも素敵なことでしょ?」というのは正しいです。それはそれでアリかもしれません。

でも、「憧れられる人」をやり続けるのって大変だと思います。天真爛漫に振る舞っていても実現できるなら大丈夫だろうけど、努力して虚像を作り上げているならだんだん疲れてくると思います。表向きには「本もCDもベストセラーです!」と言いつつ、裏では「ひとり3冊ずつ買ってください。後で買い取ります」みたいなのは・・・私はやりたくないなと・・・。

自然体のままで「憧れられる人」になれるなら大丈夫なんだろうけど、それなら誰かに習う必要はないわけで・・・

「必要とされる人」はもっとシンプルです。ふだんのライフスタイルは関係ありません。困ったことがあれば誰かに甘えたって大丈夫です。素のままでも必要とされるというのは、本当の自分を認めてもらえたような気持ちになります。

誰かが誰かを癒やすことは、そんなに難しいものではありません。自然体のままで大丈夫です。いや、むしろ自然体でなくて何が癒やしでしょうか。

クリスタルボウル サウンド・バス スクールでは、そんなことを大切にしています。

※「私はキラキラしたいのよ!」という方は否定しません。それ以外の選択肢もあるよ、ということです

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